自然農業のアジアへの展開2【インド】
2010年10月に南インドで開催された、趙漢珪博士による自然農業のトレーナー養成トレーニングの模様について、担当の広若がご報告します。
インドで最初の研修会(2005年)
今年6月のインドネシアに続き、10月中旬にインドで自然農業のリーダー研修会を開催した。講師はもちろん趙漢珪先生。日本語から英語の通訳は私が担当。
インドもインドネシアと同じく2005年に第一回目の研修会をやったところだが、その時は飛び込み営業さながら、インド人がどんな人種なのか全く考えもせず、いきなり相手の懐に入って自然農業の哲学と技術、そしてその魅力について4日間講習した。
2005年にインドで初めて行われたトレーニングにて参加者たちと。カースト制度の最下層におかれる貧しい女性農民たちに希望をもたらした
この2005年の研修会のときに印象深かったのはインド人の講習を受ける態度についてである。彼らは学校教育で「先生に対してたくさん質問をした生徒がよりよく理解できる」とでもいうべき薫陶を受けているらしく、趙先生が講義をしている間もしょっちゅう手が挙がり、自分の意見や質問をぶつけてくる。はじめは「熱心な態度だなぁ」と質問を受け入れていたものの、そのうち、それらの質問のほとんどがこれから話そうとしていることだったり、単純に前話したことを聞いていなかったり、また自分の経験を喋りたいだけだったりということが分かってきて、質問を受け付けるのをやめた。それでも彼らはひるまずに挙手してくるので、しまいには「私の話を最後まで聞く気のない人はさっさと帰ってくれ」と趙先生が激怒する始末だった。
「発酵は愛と同じ」
最も緊迫したのは2日目の自然農業資材の作り方についての実習の時だ。趙先生の自然農業では発酵がキーワードとなる。ヨモギやセリなどの野草を刻んで黒砂糖と混ぜ込み、時間をかけて発酵させたものを栄養剤として使ったり(天恵緑汁)、林の中にご飯を置いて培養した土壌微生物をご飯ごと黒砂糖と混ぜて発酵させたものを、土壌の肥沃化のために使ったり(土着微生物資材)というように、さすがキムチの国の人だけあって発酵というものの扱い方をよく心得ておられる。
その発酵について説明する時に趙先生は「発酵は愛と同じ」と説く。はじめに相手に対する「認識」があり、その認識が深まってくると「関係」が生じその関係が深まって「交合」が行われやがて「子ども」ができるのが人間同士の愛であり、発酵も黒砂糖とそれぞれの資材との間で同じプロセスが進行しているのだ、と。そして愛のプロセスなのだから発酵の途中で容器を乱暴に扱ったりしてはならず、こちらも愛情を込めて扱わなければならない、と説明するのである。
だが、インド人としてはここでどうしても異論を挟まなくてはならないのだ。研修生たちは「愛というのは西欧の物語であってインドにはない」と言うのである。以下趙先生と研修生のやりとりである。
趙先生「ではどうやってインド人は結婚するのだ?」
研修生「我々は親が決めた相手と結婚する。そこには愛などなく、相手が人間かサルかも分からない。結婚して一緒に暮らしてみてだんだん相手がどんな人間か分かってくるのだ」
趙先生「それでも相手と一緒に暮らして愛が芽生えるから子どもができるのではないか?」
研修生「違う。子どもをつくるのは自分が老人になった時に面倒を見てもらうためだ」
趙先生「そんな人生に本当の喜びはない。愛についてしっかり理解できなければ自然農業をやる資格はない」
ちなみにこの激論を「日本語-英語-ヒンドゥー語およびテルグ語」の二重通訳でやるのである。この「愛」についてのセオリーが受け入れられないと次に進めないと言われた研修生たちは、不承不承「わかった」と言い何とか実習を終えることができたが、真ん中で通訳していた私はどちらもかなりの剣幕なので(特に趙先生が)両方をなだめながら通訳していたものである。
その講習会の4日目、家畜の飼い方について講習をした時のこと。それまでは一応全体のまとめ役としてこちら側にも気をつかい、趙先生に批判めいたことは一切言わなかったインド現地NGO「SARRA」代表のロヒニ女史が「そんなことは信じられない。そんな家畜の飼い方があるならインドの女性は誰も苦労しない。」と激昂した。自然農業の家畜飼育は土着微生物を床に撒いて糞尿をすぐに分解するためほとんど臭わないのだが、見たこともないロヒニにはとても信じられなかったわけだ。
自然農業国際大会(韓国)へ(2007年)
「では一度韓国へ来て実際にその目と鼻で確かめたらいいじゃないか」と趙先生に言われ「もちろん、韓国に行って本当にそんな家畜飼育の方法があるなら私が率先してインド全土に普及するわよ!」と言いながら「でも韓国に招待するのは趙先生と広若が責任を持ってね。その後のインドでの普及は私が必ず責任を持って進めるから」としっかりこちらにも役割を振っていただき、後で苦労することになった(笑)。この時の丁々発止の交渉と、一方では秩序なく意見を出してくるインド人たちを叱り飛ばし、何とか4日間の研修会を終わらせたその芯の強さに対して趙先生がつけたニックネームが「インドのタイガーママ」であった。
そして5年ぶりにインドへ
それから4年、時々SARRAの農場に行く鈴木(ACC21)から進捗状況を教えてもらったり、メールでやりとりしながら彼女の普及活動を陰ながらサポートしてきたが、今回5年ぶりにアンドラ・プラデシュ州のSARRAの農場に行って、とにかくびっくりした。
5年前は、私たちが来るまで7年間雨が降らなかったということもあり、見渡す限り赤茶けた土で緑はほんの点々としかなかった(余談だが、5年前の研修会の最中に7年ぶりの雨が降り、雨を連れてきた人として趙先生と私が大変感謝された)。
7年ぶりの恵の雨で緑に覆われるSARRAの実験農場をまわる趙博士(中央)、ロヒニ女史(右)、広若(左)
それが今回は見渡す限りと言っていいほど緑に覆われていて、もちろんこれは以前より雨が降るようになったこともあるのだが、自然農業資材の土着微生物の利用が土壌を肥沃にしてきた大きな証である。
今年のリーダー研修会のためにロヒニが行った緻密な戦略と周到な準備に大きな拍手を送りたい。彼女が自然農業を推進する目的は、貧しい農民たちが食べていけるような状況を作り出すことだ。しかし貧農たちは自分で革新的な農業をやる能力はない。今以上に状況が悪化するリスクを抱えたくないということもあるし、他の人がやってもいない技術を自分が率先してやることなど、もちろん考えられないだろう。
そこでロヒニは、まず持続的農業に大きな関心を持っている、ある程度豊かな農民リーダーや農場経営者たちに技術を普及し、そこから貧農も真似できるようにしようと考えた。また、インドでは「農業サイエンティスト」と呼ばれる人たちの影響力が無視できない。ロヒニが自然農業の講習をやると、かならずサイエンティストらが難しい質問を浴びせてきて、他の研修生の前でそれに答えられないと「自然農業も大したことはない」となってしまう。これまで何度もロヒニから「サイエンティストからの質問集」というのが送られてきて、その答えを返していたのだが、枝葉末節の問答を繰り返していても埒があかないのでこの際、サイエンティストの代表にも何人か参加してもらって直接趙先生と質疑応答してもらおうという作戦である。
現地大学との連携
そして戦略の最後は、現地のスリ・ヴェンカテスワラ大学を巻き込むことである。アンドラ・プラデシュ州にある学生数10万人という、インドでも5本の指に入るこの大学は、2年前からSARRAと自然農業の研究に関する提携を結んでおり、ウィルス学科長のサイゴパル教授が自然農業に大変熱心で、大学側のとりまとめを一人で取り仕切ってくれた。
スリ・ヴェンカテスワラ大学での講義のようす
ということで今回の研修会は農民リーダー、農場経営者、サイエンティスト、大学の研究者、そしてNGOリーダーたちがインドの15州から約80人参加し(人選はすべてSARRAが行った)、同大学の講義室、ホテルのホール、SARRAの農場の3ヶ所で、自然農業の哲学・理論・技術・応用編などが熱心に講義された。今回も日本語→英語→ヒンドゥー語(インドの公用語)およびテルグ語(アンドラ・プラデシュ州の公用語)の二重通訳となった。当初、大学側で通訳を用意していたが、そのうち自分の方がうまくできると思った研修生がボランティアを買って出てくれ、私のシンプルな英語を専門用語を加えた、インド人にわかり易いそれぞれの言い方で伝えてくれた。
研修で出た質問
今回は「趙先生の講義の最中は質問しないこと」というルールを徹底したため、スムーズに進行したが、質問時間になるといろんな質問が飛び交い、それをロヒニが選んで今答えるべきもののみ丁寧に答えるようにした。
しかし「インドでは化学資材を含めいろんなウィルスや病気が次々に発生して抜本的な手立てがない。どうすればいいのか」という問いに、ウィルスを媒介するアブラムシやダニの駆除方法やウィルスに強い作物の育て方などで趙先生が答えると「それらも有効だと思うが、インドの病原菌はとても強くて通常の方法では太刀打ちできない」と言い、いかにインドでそれらの病原菌が猛威を奮っているかの説明を滔々とまくし立て始めるサイエンティスト。
趙先生の日本語から、英語→ヒンドゥー語およびテルグ語へと通訳された
それをしばらく聞いていた趙先生は、彼の話を制して「アメリカでこういう話がある。雨がしばらくふらず農地が干上がって困っている時、白人がいくら祈っても雨は降らないが、インディアンが祈ると雨が降る。なぜだと思うか」と研修生に尋ねた。それぞれ「インディアンは自然の心が分かるからだ」とか「本当に敬虔な気持ちで接した時に神は味方してくれる」など答えたが、趙先生の答えは「白人は計算しながら祈る。これだけ祈ればこれくらいの成果があっていい、とか見当をつけながら。そしてなかなか降らないと言ってやめる。でもインディアンは計算なしでとにかく雨が降るまで祈る。だから彼らが祈ると雨が降るのだ」というものだった。とにかく状況は大変でも、ひとつひとつ成功するまで続けてやるしかない、ということで研修生はしばらくポカンとしていたがやがて拍手喝采となったのであった。
質疑応答で印象に残ったものをもう一つ。
「インド北部は温暖化の影響で乾燥が進み、農業経営が大変困難な状況だ。すでに多くの農民は土地を捨て大都市に移ってスラム生活を余儀なくされている。この時代状況にあって自然農業に何ができるのか?」という、かなり挑戦的な質問が北インドのラジャスターンから来たサイエンティストから出された。この質問そのものに悪意を感じた英語→ヒンドゥー語の通訳が「あんな質問には答える必要はない。こつこつと実践を重ねることしか解決法はないのだから」と私と趙先生に耳打ちする。
私もちょっと頭に来て「あなたはどんな答えを要求しているんだ?」と噛み付いてしまった。しかし彼は「趙先生に答えて欲しい」の一点張り。実は趙先生は今回あまり体調が良くなく、この日も前日足のしびれのためにほとんど睡眠が取れていない状況だった上、この質問がこの日の最後の時間でかなり限界に来ていたため、できれば趙先生に答えさせずに周りで対処したかった。だが、趙先生は私から彼の質問の内容を聞くと「私が喋るからちゃんと訳しなさい」と言い、「自然農業は温暖化防止のためにやるものではない。農民の生活を良くするためにやるものだ。農民が少しでも収入を増やし、未来も安心して生活できるようにすることが自然農業の使命なのだ。その上で、環境の質を向上させたり、温暖化のリスクを減らすことに貢献できれば、それは最高だと思う。自然農業はあくまで農民のためのものだ」と言うと質問者含めみんな大拍手。挑戦的な質問にもしっかり真正面から答えて、研修生のハートをつかんだ趙先生であった。
傷ついた少女たちの健康にも役立っている自然農業
タミル・ナドゥ州で、13歳で売春宿に売られた少女を約1,600人引き取り、寮生活をさせながら更正させている40歳の男性も参加しており、寮の食料供給のため、農園も運営している彼は、自然農業の実践家として、特に家畜の無臭飼育についてのサイエンティストからの質問に、自分の体験から具体的に答えてくれた。
彼は2年前にロヒニに出会い、彼女たちが自活していくためにどうすればいいか尋ねたところから自然農業の実践が始まった。特にエイズにかかっている少女たちは良質のたんぱく質を摂らなければならないので、自然養鶏での卵が必要だという。篤志家から譲られた5ヘクタールの不毛の土地は2年間の自然農業的処理で豊かな地力がつき、そこで育ったトマトは2ヶ月間腐らないという。彼がそれに気づいてロヒニに電話してきた時、ロヒニが彼に言ったのは「とにかく写真を撮っておいて」だったと笑っていた。ちなみに腐らないトマトというのは栄養が多くもなく、少なくもない、ちょうど良い状態で育てられた場合にできるもので、「過酷な生活を経てきた彼女たちの体を癒すためには、良質の食べ物が必要で、それには自然農業が一番適している」と彼は自然農業に大きな手ごたえを感じている様子だった。彼から自然農業が不遇な環境にある彼女たちの役に立っていると聞かされた趙先生は涙をこらえきれずに彼と抱き合って泣いてしまった。
初日の大学での講義の模様が、翌日の全国紙「THE HINDU」に掲載された(2010年10月13日)
今回のリーダー研修が終わってスリ・ヴェンカテスワラ大学のサイゴパル教授から「来年から大学に3ヶ月~6ヶ月の自然農業のトレーニングプログラムを設けたい。趙先生には当大学の客員教授になっていただき、プログラム開始の暁には講義をお願いしたい」という申し出があった。これももちろんロヒニが提案したことだが、これで毎年趙先生がインドへ行く経費ができたことになる。ついでに私にも通訳として同行するようお願いされた。 今後インドの自然農業は、このスリ・ヴェンカテスワラ大学を拠点として展開することとなるだろう。ロヒニはアドバイザーとして関わりながらもっといろんなところへ自然農業の専門家として講習に飛び回るとのことである。これからのインドの展開に大いに期待したい。
<報告:農業事業担当 広若 剛>
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