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2019年12月23日  

【開催報告】「在日が目ざす日韓共生社会~日韓みらい若者支援事業に期待すること~」
【日韓学習会#1】


IMG_6190.jpeg 日韓両国の関係は、これまでも植民地時代や戦後の処理問題を巡り、対立を繰り返してきました。とくに過去1年近くは、両国政府の関係が急速に悪化しており、両国の市民の間には当惑が広がり、一部の人々は相手国の人々に不信感と嫌悪感を持つに至っています。中でも、日本国内ではヘイトスピーチの対象となる在日韓国人・朝鮮人の人々は、いたたまれない立場に置かれています。

こうした状況から、アジア諸国で現地NGOとの連携で国際協力を行っている私たちアジア・コミュニティ・センター21と日中韓の市民活動家、在日外国人との交流に取り組むAsia Commons亜洲市民之道は、隣人である韓国と日本の問題に市民の立場から向き合おうという共通の問題意識のもと、共同で「日韓みらい若者支援事業」を2019年11月に開始しました。本事業では、日韓の過去の歴史を、在日韓国人・朝鮮人の若者たちの参加を得て、日本の若者たちが直視し、2国間の共通の歴史観を育み、それを基礎に両国関係の未来を志向する姿勢そして能力を身に付けることを支援し、その輪を広げていくことを目的とします。

本事業では両国の関係をめぐる歴史や民間交流・協力に関わる取り組みや課題について有識者や実践者から学ぶという目的で、学習会を開催しています。第1回学習会は、在日韓国人2世で在日韓国青年会や韓国民団中央本部の宣伝局長、民団新聞編集長を歴任され、日本のマスコミとの勉強会などを継続的に行われている裵哲恩(ペーチョルン)氏をお招きし、2019年11月6日に開催しました。

主催者代表として挨拶をしたACC21代表理事の伊藤道雄は、とくに今年に入り、徴用工の問題等を発端に日韓政府の関係が急に悪化しているが、この状況や問題についてアクションを起こそうという動きが市民組織等から表立った動きがないことに危機感を覚え、とりわけ在日の人たちが、いたたまれないと感じているのではないか、と憂慮するようになったと話しました。

長年、アジア開発途上国で特に貧困問題の解決のために国際協力に取り組んできたため、東アジアの問題について直接的に関わっておらず、まだ理解しきれていないことは多いながらも、国家間で相互の信頼関係が築けず、なぜ対立関係が繰り返されるのか、そして民間・市民レベルでこうした状況を打破すべく社会勢力に発展させることはできないものか、少しずつまわりの人たちに声をかけ、そして長年活動されている関係団体とネットワークしながら、特に未来志向に立つ若い世代への期待を胸に今回の事業開始と学習会開催に至った想いを語りました。

「一期一会」
とホワイトボードに大きく書いて始められた裵哲恩氏の講演。

「みなさんとお会いするのは今回が最初で最後かもしれないし、またどこかで会えるかもしれない。いずれにしても、自分が在日で生まれてきたということを話しながら、少しずつでも共通理解が生まれたら。」と本学習会の講師を引き受けた理由を話してくださいました。

まず裵氏が取り上げたのは「なぜ一般の日本人と韓国人の溝が埋まらないのか」という問題点でした。ご自身でも講演会をしたり、日韓関係の改善を願ってマスコミ関係者と情報交換をしてきたものの、その溝は一向に埋まらないといいます。このような状況に対して日本人が「関心外」として在日韓国人の問題を捉えている点を指摘しました。

そして、在日韓国人は、よほど日本人と仲良くならない限り、身の上話をすると関係が崩れてしまうのではないかという「恐怖」があるということを知っていただきたい、と語りました。 日本人は日本に生まれてきたことに疑問を感じることはない。どうして日本人として生まれたのだろうと思うことも、嘆くこともそれほどない。しかし、"在日"は、物心ついたころから、「日本で生まれたのに、日本語しか話せないのに、なぜ"日本人"ではないのか」と思うと言います。

在日の世代交代は進んでいるものの、国籍は韓国籍でも、生まれは日本。
例えば、在日2世ぐらいまでは、スポーツの韓国代表選手についてよく知らないのに、親の心情を慮って韓国を応援する。しかし、父親から「韓国人なんだから韓国人の民族意識をもて」「クリスチャンなんだから宗教を大事にしろ」といったことを繰り返し聞いてきた中で、そういう強制力を自分の子どもに向けるのだけは、やめようと思ってきたそうです。

裵氏の子どもの代、つまり在日3世・4世は、国籍こそ韓国でも、韓国人に対する親近感がない人が多いと言います。 ただ、韓国政府は在日の人々に対し国籍を韓国のままにしろともいうことはなく、今は日韓関係が悪いと言われるが、昔に比べたら相当良くなってきたと感じるそうです。

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「一期一会」と書いて始められた講演


自分が自分である、と言えない在日の人々

現在、日本の在留外国人は法務省統計で264万人と日本人口の2%にあたり、そのうち在日韓国人は45万人、在日朝鮮人は3万人で、合わせて48万人います。さかのぼること1945年8月15日、日本の敗戦により韓国が解放(光復節)された当時、在日朝鮮人は約230万人いました。

日本当局によって強制的に朝鮮半島から連れてこられ、早く自国に戻ることを願う人たちや、日本で勉強したいと自分の意思で日本に来た人など、様々な背景を持つ朝鮮人が終戦当時に日本にいたとのことです。このような人たちの帰国の便宜を図るため、多くの在日団体が結成されました。1945年10月、それらを全て総括してできたのが、いわゆる朝連(在日本朝鮮人連盟)です。しかし、主義主張の対立から朝連から離れていく人たちが多数いて、その人たちが設立したのが韓国民団、と言います。

しかし、48万人もの在日韓国・朝鮮人(因みに、裵氏はこれらの人を在日コリアンと呼ばれています)が日本の、特に大都市にいるのに、なぜ在日とわからないのでしょうか。

裵氏は、昔、電車に乗っていたときに、近くにいたサラリーマンが「○○さんは在日らしいよ」とひそひそと話していたのを聞き、「隠れて生きていても必ずばれてしまう、そして悪い秘密を見つけたように陰口をたたかれる」と感じたそうです。

また、70代の在日1世のおじいさんが市役所で日本国籍を取る手続きをしに来ていた際に、受付の若い人に顎で使われているのを見たり、大学時代、故郷の父が働く工場で手伝いをしていたところ、国立大学を出たばかりの若い人が父親に対し横柄な態度をとっていた様子を見たと言います。そういう1世の人たちに対する不公平な扱いを目にし、もし本名を最初から名乗れていたら、こういうことは起こらないのではないか、と思ったそうです。

なぜ「在日である」と言えないかというと、一般的には、差別や偏見にさらされる恐れがあるからです。カミングアウトしたときに友人と絶交したり、"空気を読めない人"として扱われ、よほどのことがないと、自分が自分であるとは言えないといいます。

考え方、行動が変わった学生時代

一方で、差別などに立ち向かうことで見えたものもあると言います。

14歳(中学2年)の時に、外国人登録をするように父親に言われた裵氏は、市役所で手続きを進めると、別室で指紋をとられました。別室で指紋をとられるということは、やましいことをやったとみなされているかのようでした。

「1960年代70年代当時では、指紋をとられるということは、全くどういう事を意味するのかわかりませんでした。担当官に左手を取られ、"黒いインクをべったり付けたうえで半回転させろ"と言われました。このとき私は強制力のもつ力を感じ、なぜ別室で隠れてこんな事までさせられるのかと思いました。

外国人登録は3年ごとに行われるので、14歳、17歳、20歳の時点で登録が必要でした。20歳の時は大学生で、"これ以上隠れたくない"という想いが強くなっていました。その想いをより強くもつようになったのは、韓国社会文化研究会という在日の大学のサークルの存在で、そのサークルの先輩たちに出会わなければ私は今日、ここに立っていないかもしれません。もしかしたら、日本人になって韓国人を差別する側に回っていたかもしれません。

『差別というのは、逃げていても解決しない。差別があったら、そこに立ち向かわなきゃならない。権利は棚ぼたみたいには得られない』という先輩の言葉が強く印象に残りました。そして次の外国人登録の時には、14歳の時に経験した嫌な思いをしたくないという気持ちでいっぱいになりました。ちょうどそのころ、地元で牧師の娘が指紋押捺を拒否したというニュースをみて、"俺がやるのはこれだ"と思いました。」

そして裵氏と仲間の人々は動き始めました。

法改正を求めるには、自分たちに選挙権がないため日本人の署名を集めなくてはなりません。このため、民団は1983年に100万人署名運動を開始しました。84年の法改正要求では最終的に182万もの署名が集まりましたが、政権党の自民党は署名受け取りを拒否しました。当時、日韓政府の関係は相当良かったはずが、在日の問題は正面を切って闘うだけではダメだと自覚し、順法闘争でもだめなら指紋押捺を拒否することで、自分たちの身を挺してやろうとする人たちが増えました。

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『差別というのは、逃げていても解決しない。差別があったら、そこに立ち向かわなきゃならない。権利は棚ぼたみたいには得られない』という先輩の言葉でその後の行動が変わっていったという話に会場の参加者は熱心に耳を傾けました


3年おきの外国人登録から法改正へ

1985年当時は、3年おきだった外国人登録は5年に変わっており、ほとんどの在日の登録が切り替わるときで、法改正要求が受け入れられるか否かの正念場だったそうです。

「ある市で押捺拒否者がでたら市長が警察に告発し、調査に入りますが、当時の川崎市市長のように、外国人であっても地域に住む市民だ、告発しないという人もいました。そういう世論もあり、次第に法改正に向かっていくのを目の当たりにしました。

指紋拒否したために逮捕され、両手足20本の指紋を取られた仲間がいたり、裁判で闘って高等裁判所では勝ったけど、最高裁でひっくり返されたこともありました。そういう痛みを超えて次に行ったのが、神戸から東京まで歩く"人権行脚"でした。最後は全国7か所で一人10日間程度の断食を実行。

そして、両国政府の話し合いで、指紋押捺は最初の1回だけにしようとなりましたが、その"最初の1回"がダメなんだと対峙しました。そして2000年、ついに指紋押捺にかかる法律が廃止され、2012年には外国人登録法も廃止になりました。これは在日の民間の運動として、運動に連帯した日本人との熱い想いが法改正を導いたことを示していました。

このような外国人登録法廃止の運動を通し、日本の中に人権という考えが定着してきたと感じました。しかしその一方で、2013・14年頃のヘイトスピーチに見られる、"自分と違う他者"を許さない風潮や、「韓国帰れ」との非難、そしてとくに、選挙のときに、選挙権がない在日のこの国での居場所のなさを感じます。」

あなたがあなたであるように、私も私であっていい

子ども時代から葛藤の学生時代を経て、今に至るご自身の経験とその当時感じた思いを話した裵氏は、最後に「つかこうへい」と板書し、「『娘に語る祖国』の著者で劇作家の在日2世のつかこうへいさんは、"いつか公平な社会が来るように願って命名した。」と、「つかこうへい」の前に「い」の文字をつけ強調し、「"あなたがあなたであるように、私も私であっていい"という共通のスタートラインに、まずは立つべきではないでしょうか」と結びました。

講演のあと、学習会に参加した大学生から次のようなコメントが寄せられました。
「昔、在日の子がクラスにいました。いじめを受けていたようには見えませんでしたが、自分の親から"気を付けた方がいいよ"と言われたことがあります。小さなときは、親が言っていることが正しいと思ってしまう。でも、時代背景や社会背景によって世代ごとの考えは違います。だからこそ、私たちの世代は自分たちで情報収集をして判断したいと思いました。」

社会の未来の姿は自分たちで描く、という一歩踏み出す姿勢の大事さを感じた第1回学習会でした。今後、本事業では、日本の若者と在日の若者そして将来は韓国の若者の参加を得て、日韓市民が共生する社会を描き、その実現に向けて取り組んでいきます。



【講師プロフィール】裵哲恩(ペーチョルン)氏(日韓友好親善を目指す一般社団法人KJプロジェクト 代表理事)
 1955年大分生まれ山口育ちの在日韓国人2世。明治大学文学部卒業。在日韓国青年会山口県本部会長を経て83年に青年会中央本部に常勤。副会長を終えて86年から韓国民団中央本部で常勤。98年5月から宣伝局長、民団新聞編集長などをつとめながら、98年9月から2003年8月までスカパーKNTV「在日コリアンニュース」のキャスターを兼務。19年2月、民団勤務33年で定年退職。現在、日韓友好親善を目指す一般社団法人KJプロジェクト代表理事。