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【ネパール地震】被災地のようす(写真によるご報告)


2015年5月23日

コンサーン・ネパールから送られてきた最近の写真です。(5月23日、カトマンズ北西、Dharmasthali地区)
「いまだ政府・行政が入り込んでいない、あるいは支援物資が届いていない地域に支援物資を届けている」との報告が届きました。
瓦礫はある程度片づけられていますが、今後どのように復興するのか予測もつきません。

2015年5月7日

現地NGO「コンサーン・ネパール」は2015年5月5~6日にカトマンズのDhimelohan とChovarで支援物資の配布を行いました。

建物が全半壊したカトマンズ周辺では、レンガや土壁の粉が風で舞い散り、目もあけていられない時もある。地震直後には、マスクもつけずに手作業で瓦礫を取り除く人が多く見られたが、いまは支援物資と一緒にマスクが配られている。

コンサーン・ネパールでも、食料を中心とした支援物資と一緒に、マスクを手渡している。

コンサーン・ネパールが配った支援物資の袋。主食であるコメのほかに、すぐに食べられる高カロリーの食品などが詰められている。
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2015年5月1日

現地NGO「コンサーン・ネパール」より地震が発生した直後に撮った写真が届きました。

5階建てのビルが倒壊し、母子が亡くなった.jpg
煉瓦造りの5階建てのビル。上層階が倒壊して崩落、母子が犠牲になった。

木造の建物、レンガ造り、コンクリートの建物が混在する町の様子。倒壊した建物に引きずられ、電信柱が倒壊。電線が地上付近に垂れ下がっている。行き交う街の人々は、電線をくぐって通り過ぎる。雨が降るとショートし、停電が復旧したとたんに火を噴くことも。
まちの様子.jpg

新しい建物も倒壊した.jpg
つい最近できたばかりの新しい建物。一階の柱や壁が建物の重みに耐えきれずつぶれてしまっている。いわゆる「パンケーキ型倒壊」。壁の塗装やサッシの新しさが痛々しい。建物の持ち主にとって楽しい日々が、絶望に変わってしまった。復興のためにはこの建物も取り壊し、更地にしたうえで将来の計画を立てねばならない。

ダルバール(王宮)広場は、13世紀のマッハ王朝から18世紀のシャハ王朝にかけてネパールの王宮だった場所。歴史的建造物が数多く残っていた。いくつかの寺院は土台を残して完全に崩落して跡形も残っていない。もはやがれきの山となってしまった寺院の土台に上り、呆然と立ちすくむ人も。
世界遺産のダルバール広場で倒壊した寺院.jpg

生き埋めになっている人々の救出活動とそれを見守る人々.jpg
地震による一次被害者の多くは、建物の崩壊などによる圧死や窒息、衰弱死など。崩壊した建物のがれき撤去は、崩れたレンガ一つ一つを手で取り除いてゆくほかはない。わずかな空間に被災者が生き残っている可能性を考えれば、安易に重機は使えない。レスキュー活動をする人々ももどかしいが、遠巻きに見守る人たちにできることはさらに少ない。

全面崩壊を免れた寺院も、無傷で残っている建物は少ない。優美な屋根の勾配が美しかった三重の屋根も、無残に塔頂部が崩れてしまっている。大規模な余震が起こることを心配する人々が、広場の中に立って、不安そうに周囲の半壊した歴史的建物を指さしている。
損壊したカトマンズのダルバール広場.jpg

地震でヒビが入ったCONCERN事務所外観.jpg
大きくひびの入ったコンサーン・ネパール事務所。ブロックやレンガ造りの建物は、一度地震でダメージを受けると、余震で倒壊するリスクが増大する。安心して使用できる日が来るかは今のところ不明。

土塀やレンガの良いところは建築資材費が安価なことと比較的火災に強いところ。根気よくレンガを積み重ね、土を塗り固めて壁を作れば、家の形は出来上がる。しかし、ひとたび地震が起これば、構造的にもろいレンガ造りの壁はその重さが凶器となる。跡形もなく崩れて住む人に襲い掛かり、払いのけて這い出すことも容易ではない。特に、二階建て以上の建物の一階は、地震で跡形もなくつぶれてしまうことも珍しくない。
貧困世帯の家の多くは土壁やレンガでできている.jpg