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2015年6月19日  

故 柴田敬三氏を偲んで


 本年4月3日、ACC21理事の柴田敬三さんが急逝された。享年69歳。ACC21を2005年に創設して以来、ご指導いただいた。本当にかけがえのない人が突然去られ、こころにぽっかりと穴があいた感じだ。


 柴田さんとは、1991年に、私のかつての職場であったNGO活動推進センター(現・国際協力NGOセンター)が、「世界の発展途上地域の環境と開発と私たち」をテーマに国際会議を主催したときにパネリストとしてご参加いただいたときからのお付き合いであった。当時、私がNGO仲間と立ち上げたNGO活動推進センターは、資金のない中、2度目の引越しを余儀なくされ事務所探しをしていた。会議後、そのことを知った柴田さんは、私に『神田錦町にある自分の持つビルの3階のスペースが空いているので、無料で使っていいですよ』と声をかけられた。古い建物で、土地を所有する不動産会社と係争中で、いつ立ち退かなければならないが、それまで使えますよ、ということだったのでNGO活動推進センターはそこへ引っ越すことになった。薄暗い、天井にはシミがあちらこちらにあり、エレベーターはなく、急な階段を昇らなければならなかった。理事会のときには理事長をはじめ60代の数人の理事には息切れする思いをして階段を上がってもらわなければならなかった。しかし、柴田さんのこのときの寛大なお申し出と、それからの 彼との親交は、NGO活動推進センターその後の発展と拡大につながり、そして何よりも私自身の思考や社会観に大きな変化をもたらした。


 柴田さんは、汚れた不公正な社会を徹底的に嫌われ、とくに実質的に政治を動かす官僚と右傾化する政治状況に厳しい目を持っておられた。彼は、小学館で編集者として勤務した後、出版会社「ほんの木」を1986年に立ち上げられ、日本に真の民主主義に基づく市民社会づくりをめざし、出版活動を通し市民運動を支えられた。まずは、1989年に創刊された月刊誌『アップデート』は、地球的視点での民主主義、人権、第3世界、在日問題、環境問題、女性、障碍者、ボランティアや教育といったテーマを扱った。そして国内外の多くの知識人や文化人等の協力を得て、順調にスタートしたと思われた。しかし、毎号大きな赤字を抱えられ、3年で廃刊となった。その悔しさをバネに、その後も、経営困難な状況が続いたにもかかわらず、環境、エコロジー、市民政治、NGO、人権、シュタイナーやオルタナティブ教育、子育て、地球再生、自然治癒力と代替療法などの書籍を次から次へと出版され、創設以来30年目を迎えた本年3月には100冊に達した。この中には、書くのは嫌いと言われたご自身が書かれた「売れない本にもドラマがある」(2002年発刊)がある。これには、市民派出版社としての苦闘が率直に、社会の現実に厳しい目線を向けながら、ユーモラスに描かれている。彼自身、1年365日、本の仕事に取り組む"老働者"と呼んでいた。その"老働者"が2013年12月31日の大晦日の朝日新聞「天声人語」にメディアにも厳しい本質的な指摘をする市民活動家として紹介された。よほどうれしかったのだと思う。「(余程ネタに困った朝日?(笑い))として、本年正月に受け取った「ほんの木」の謹賀新聞で紹介されていた。


 ただただ残念なのは、柴田さんは、その意思があれば、少なくともあと10年は長生きされたはずである。急逝された遠因は、糖尿病である。糖尿病と診断されたのは6~7年前と聞いていたが、1年365日の"老働者"を続けられ、そのうちに網膜症を患われ、数年前から片目はほとんど見えない状態。虫眼鏡を使って編集活動をされていた。そして昨年7月には心筋梗塞。糖尿病患者の先輩としての私は、彼に何度も健康第一と忠告したが、最後までご自分の意志を貫き通し出版活動を通して市民社会づくりをめざされた。


 上述の謹賀新聞の2ページと3ページ目の見開きには「2015年をシニカルに展望する私、老働者『柴田敬三』の見解(と愚痴と諦め?)とあり、その一節に「戦後ずっと守った憲法も風前の灯。そう守っただけで使いこなせなかった。しょせん民主主義が解らない日本人にはチト荷が重すぎた憲法かも?(笑)だから市民社会なんて夢のまた夢。」と。残された私たちは、少なくとも私自身は、柴田さんのめざされた社会づくりに一歩でも近づける活動を、と思っている。これからも柴田さんと対話を続けていこうと考えている。どうぞ安らかに。



(特活)アジア・コミュニティ・センター21
代表理事 伊藤道雄